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Cracks of Foam

泡沫のヒビ

アルバム『LOVE FLASH FEVER 』について


父性愛が足りないまま大人になった、というカミングアウトをした晩に飲む珈琲は苦い。言葉の淹れ方が良くなかったのであろう。
親はなくとも子は育つという惨めな言葉にすがりたくもなる。
子供の頃何を聴いて育ったかは個人のパーソナリティを決定する大きな要因になるのではないかと勝手に考えたりもする。
子供というには少し成長した中学の頃、自分はよく90年代V系を聴いていた。流行りの音楽に乗らない捻くれたガキはそのツケを23歳の今味わっている次第である。
ひとしきり感傷に浸るとブランキーが聴きたくなったりもする。世の中ブランキー派とミッシェル派で分かれたりするそうだが、そうやって分けたり対峙させたりする意味はなんなのであろう。アルバムでの派閥はまああっても良いと思う。
『LOVE FLASH FEVER 』はブランキー6枚目アルバム。15歳、中3の時にこれを聴いてとにかく衝撃であった。プラネタリウムでハッパをキメたなんて詩から始まるアルバムはこの一枚で十分である。動と静のバランスがとにかく絶妙でクセになる。ポエトリーリーディング調の曲まであるぐらいバラエティに富んでいる。どの曲も言い尽くせないほど好きだが、個人的にはラストM10のベンジーの掠れ声にグッとくる。私もグレッチで殴ってほしいものだ。

アルバム『EDO RIVER』について


つい2ヶ月程前まで名古屋にいた。名古屋の片隅、地域名は伏せるが仮にカニエ・ウエストとしておこう。カニエ・ウエストはベッドタウンで何もなかった。娯楽もない、道は一方通行が多く、その上暇さえあれば所構わず道路工事をしていた。居酒屋らしい居酒屋も少なく、スーパーは21時に閉まる。TOKYO以上に狂った街である。うるさく走り過ぎる車の音は0台であった。そんなカニエ・ウエストを突然の転勤によって離れ、現在は神奈川にいる。そう、東京から少しはなれたところにすみはじめたのである。
M1の有名なフレーズをドヤっと使用したところで内容に移る。『EDO RIVER』はカーネーションの5枚目のアルバムであり、マニアックなサウンドから垢抜けたサウンドへの過渡期に作られたアルバムであると考える。M5、M7、M10、M11、M12では一聴してそれを感じることができるし、M2、M4、M7は次作『a Beautiful Day』のそれである。にも関わらず全体のバランスは絶妙であり楽曲には華がある。強いて言うならM1が強すぎるという難点はある。しかしあれは一曲目以外入る余地がない。曽我部恵一のカバーもまた格別である。

アルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』について


シティポップスおじさんという人種がいる。彼らは心の中に山下達郎を飼っており、山下達郎のギター音が主食であり、それ以外は一切受け付けない。そんな冗談を考えてしまう程、シティポップスというジャンルは危険な匂いがする。『センチメンタル・シティ・ロマンス』というアルバムもそんな枠組みの中にあると思う。センチメンタル・シティ・ロマンスのSTであり都会的なサウンドの中に、言いようのないいなたさを感じる名盤である。渋い低音のヴォーカル、Charの様な広がりのあるギター、演奏陣のレベルは総じて高い。素朴な曲の方が人気のようだが、M1、M2、M11のようなアップテンポな曲の方がセンチ独特の魅力があると思う。そして山下達郎はM10にコーラスとして参加している。素晴らしい。

映画『エイリアン』に関して

『エイリアン』という映画がある。私はこれに滅法弱い。2でも3でも、まして4でもない。vsプレデターなんて以ての外である。薄暗く広い宇宙船、未知の生命体による殺戮、交錯する思惑…etc。これからSF映画を本格的に観ようと考えるなら問答無用でこれを投げつける所存である。作品としての完成度もさることながら、音数の少なさや、演出、カット割りはホラー映画のそれである。
私は『エイリアン』という作品を愛しているし、エイリアンという架空の生物がたまらなく好きである。性質が寄生主依存である点、環境適応能力がズバ抜けて高い点、血液が酸である点、その他諸々の設定のどれしもが愛おしい。エイリアンマザーと同レベルでエイリアンを愛している。特に1作目の個体(ビッグチャップ)は素晴らしい。その姿を見る度に「H・R・ギーガー、ありがとう。」という気持ちで満たされる。作中中々姿を見せない所や、頭部が透けているところなどにエロティシズムを感じる。本当に素晴らしい。さすがアレのメタファー。素晴らしい。母性本能をくすぐられすぎる。
私は映画関係のサークルに所属して1年目の夏、エイリアンシリーズを狂ったように見続け、模造紙8枚にも渡る研究発表を行い、周囲をドン引きさせたという経験がある。エイリアンとは誠に恐ろしい。
最後に、独断と偏見でエイリアンシリーズを精査するならば、『エイリアン』はホラー、『エイリアン2』はアクションホラー、『エイリアン3』はアクション、『エイリアン4』は無かったもの、として位置付ける。要は1作目の『エイリアン』を観よ、ということなのである。

モノと邦楽、時々映画

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」という土佐日記の有名な一節から、日記とは元来男のモノである。なとどとぬかせばジェンダー論の教諭は即座に顔面トランザムであろう。別にそんなことはどうでも良い。
自分はほぼ日手帳にも2日のディレイを効かせて日記を付けているが、「紙媒体なんて流行らないわよ。」という攻殻機動隊のセリフにインスパイアされこの手のモノにも手を出した次第である。無論、後半部は嘘だ。
好きなアーティストは誰か?と聞かれた時の正解はスピッツだと考える。当たり障りのなさが天下一品である。併せて相手がスピッツファンであった場合、好きなアルバムは『名前をつけてやる』だと答えておくと相手はご満悦である。パンチの光を浴びせてやりたい。
19の頃、好きな映画が『アメリ』の女は信用するな、と教わった。随分歪んだ考えだと当時の自分は憤りを感じたものだが、強ち間違いではないことに気付く今日この頃である。