Cracks of Foam

泡沫のヒビ

映画『シベールの日曜日』について

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「これだけあれば十分やろ。」

社会人になり住み慣れた家を出て行く際、そう言って父親は財布から7万円を取り出し、投げるように私に寄越した。新大阪から名古屋へと向かう夜の新幹線で、あまりの惨めさに私は1人唇を噛み、涙を流した。

「あんたが居なければ私はもっと早く離婚できて別の人生があった。」

大学4回生の時、毎日母親からこの言葉を浴びせられた。日を追うごとに心が死んでいくのを感じた。

親を大事にしろと年長者は言う。こんな親でも大事にしなければならないのであろうか。この世が芥川龍之介の『河童』の世界であるならば、胎児の段階で産まれてくることを拒めたのになと落胆することも屡々である。

 

シベールの日曜日』は1962年のフランス映画である。その年のアカデミー外国語映画賞を獲った映画であり、ヴェネツィア国際映画祭でも特別表彰されているが、やや入手困難な映画である。同じ年の映画であれば『水の中のナイフ』もお気に入りであるが、それはまた別の機会にしようと思う。二十歳の頃、誕生日プレゼントとして当時の彼女にせがんで買ってもらった、というのは心底どうでもいい情報であるが一応記しておこうと思う。

私の知りえる映画の中でも指折りの美しい映画である。大人になることを強いられた子どもと、大人に戻ることを強いられた子ども。純粋というものはいつだって大人に取り上げられ、踏みにじられる。無自覚にそれを行うのだから大人もまたある種純粋なのであろうか。白黒の映像の研ぎ澄まされた絵や、控えめな音響が、物語の悲惨さを浮き彫りにしている。私は決して饒舌ではない為詳細な内容やレビューは他の方々に委ねるが、一人でも多くの人がこの映画を知り、興味を持ち、触れてもらえる機会が増えるよう切に願う。とても美しい映画なのだから。

父親によって孤児院に預けられた少女が映画の中で「パパは死んだの。」と嬉しそうに笑う。どうせ捨てられたようなものであれば、私も明るく笑い飛ばすしかないなと、少し考えさせられる春先であった。